
ベトナムの歴史を知る上でハノイの見逃せない長年の歴史を持つ二つの観光スポット
ベトナムの伝統的な価値観を持つ建造物を見ることができる玉山祠と文廟・国子監はハノイ首都の文化財及び史跡です。
玉山祠(Den Ngoc Son、デン・ゴック・ソン)
ハノイ旧市街のホアンキエム湖に浮かぶ島に建つ「玉山祠」は19世紀に建立され、当初「玉山寺」だったが、道教の神としての学問や科挙を司る文昌帝君と、元軍を打ち負かした陳興道皇帝を祀る場所なので、「玉山祠」となりました。
玉山祠境内にあるチャンバ亭 Ảnh: @agirrecaro
ホアルー(ニンビン省)からタンロン(ハノイ)に首都機能移転の際(1009年)、李太祖皇帝が「玉象」と名付けしたが、陳朝(1225年〜1400年)には「玉山」と名前が変更され、その後一回崩壊されました。『玉山祠帝君』(1843年)当時の「玉山寺」について「ターヴォン湖(ホアンキエム湖の旧称)は京畿の景勝地である。湖の北側には後黎朝の魚釣り台だったと言われる塚があった。以前、ニーケ村に住んでいたティンチャイという人は、そこにあったクアンデー祠の面積を広げて改修した後、玉山寺と呼んだ。」と記載されました。三聖を祀る寺院としての玉山寺は本殿を再建されて玉山祠と呼ばれるようになりました。
玉山祠の左側の石積みの塚に立つ「筆塔」 画像引用元: anninhthudo
玉山祠の入り口から入ると、左側の石積みの塚に立つ「筆塔」が目に入ります。グエン・ヴァン・シエウという儒学者の発想で1865年に建てられた筆塔に「写青天」(青空に書く)と3つ漢字が書かれました。玉山祠の門まで行くにはホアンキエム湖に架かる赤く塗装された「棲旭橋」(テーフック橋)を渡ります。橋名は「早朝の日差しが当たる所」と「暈がかかる」という意味を表しています。
玉山祠の門まで行くには「棲旭橋」(テーフック橋)を渡ります。 画像引用元: ancu.me
祠の門に「玉於斯」(ここには玉がある)、「山仰止」(山を見上げる)と書かれました。玉山祠は「三」の文字の形で建てられ、書画、連句など様々な神聖な装飾品が保管されています。境内にある二重屋根のチャンバ亭は内側の4本が木製、外側の4本が石製の8本の柱で屋根を支える四角の建造物です。本殿は文昌帝君と陳興道皇帝を祀るところです。
内側の4本が木製、外側の4本が石製の8本の柱で屋根を支えるチャンバ亭 画像引用元: mytour
文昌帝君の祭壇 画像引用元: bestour
玉山祠は還剣伝説に関した大亀の剥製のあるところでもよく知られています。約200歳の大亀なので、ベトナム人が「亀おじいさん」と呼んでいます。ガラスのケースの中に観光客を驚かせるほど巨大な「亀おじいさん」の剥製が展示されています。
玉山祠に展示されている「亀おじいさん」の剥製 画像引用元: Vnexpress
文廟・国子監(Van Mieu - Quoc Tu Giam、ヴァンミウ・クオックトゥザム)
文廟・国子監はハノイ、ドンダ区、クオックトゥザム通り、58号に位置するハノイの重要な遺跡群です。ベトナム最初の国立大学である文廟・国子監は700年間の間に学者や政治指導者を排出しました。
文廟・国子監
1070年に孔子、周公と孔子の4人弟子(顔回、曽子、孟子、子思)を祀る文廟が創建され、1076年に李仁宗皇帝(リ・ニャン・トン皇帝)に文廟の裏にベトナム最初の国立大学(国子監)が建てられました。当初、皇族と貴族の教育機関であったため、「国子」と名付けられました。1806年、合格者を採用するため第二科挙試験を実施しました。当時、最高得点者の莫顯績(マック・ヒエン・ティック)は翰林院の最初の学士になりました。
国子監は本来孔子、周公と孔子の4人弟子を祀る廟でした。画像引用元: vitbeoxn.blogspot
李英宗皇帝(リ・アイン・トン皇帝)時代、1156年の教育改革によって文廟で孔子だけを祀ることになりました。陳朝時代、1232年に最初の儒学部が開設され、聡明であれば国民の子孫でも入学できるようになって、国子監が「国学」と呼ばれるようになりました。陳藝皇帝(チャン・ゲー・トン皇帝)時代(1370年〜1372年)、朱文安(チュ・ヴァン・アン)儒学者は国子監で司業として務めており、陳明宗皇帝(チャン・ミン・トン皇帝)時代(1314年〜1329年)に、孔子と共に文廟で最初に祀られたベトナム人となりました。黎聖宗皇帝(レー・タイン・トン皇帝)時代(1460年〜1497年)は国子監の教育が最も発展した時期と言われました。1484年、皇帝は文廟・国子監で最初の科挙試験合格者名碑(黎朝時代、1442年の合格者から)を10つ建てました。
国子監で撮影された古い写真 画像引用元: vitbeoxn.blogspot
阮朝時代にまたタンロン(ハノイ)からフエに首都機能移転のため、フエで別の国子監が創建されました。1802年、嘉隆皇帝(ザー・ロン皇帝)はハノイにある文廟・国子監を「ハノイ文廟」と指定しました。「タンロン(ハノイ)文廟」は北城(ベトナムの北部)の文廟ということで、「ハノイ文廟」と名前が変更されました。1805年、グエン・ヴァン・タイン(北城の知事)によってハノイ文廟内で奎文閣が建てられました。タンロンの国子監はホアイドゥック府の学堂として使われて、現在孔子の父母を祀るカイタイン廟となりました。
今の文廟・国子監は学校でなくハノイの定番の観光スポットとして国内外の観光客を魅了しています。成績優秀のある生徒、学生達の表彰式を行う会場と、学問の利益がある場として合格祈願に来る地元受験生にも人気のスポットです。
現在の文廟・国子監 by: @satthy
文廟・国子監は敷地面積5.4331m²、文廟門から各建造物(大中門、奎文閣、大成門、拝堂、太学門、太学区)が北南軸に沿って平行に配置されています。
文湖(Ho Van、ホー・ヴァン)
上から眺めた文湖の景色 画像引用元: kienthuc
文廟の正面にある大きくてきれいな文湖は「明堂湖」や「監湖」とも呼ばれています。湖の中央に浮かぶキムチャウ小島には以前儒学者が詩を注釈する「泮水堂」(ファン・トゥイ・ドゥオン)があります。「泮水堂」はそもそも文廟の「小明堂」として設計意図に従って建てられました。
青く澄んだ文湖 画像引用元: tripadvisor
1998年、文湖を浚渫した際、1903年の科挙試験合格者であるホアン・フアン・チュンに1942年文湖について書かれた碑文を発見しました。石碑の裏側に漢字から国語に翻訳された文章が刻まれました。「この湖は文廟の第三門の外側に位置、「明堂湖」また「監湖」と言う。広さは一万九百平米。中央に二百平米のキムチャウ丸小島に浮かんでおる。」という碑文の一段落の内容です。
青く澄んだ水と緑に囲まれているのは文湖の魅力的な風景です。
文廟門(Van Mieu Mon、ヴァンミウ・モン)
文廟門 画像引用元: Vntrip
文廟の最初の門は石造の三間門である「文廟門」です。中央門は最も大きく、二階建ての門です。1918年、啓定皇帝(カイ・ディン皇帝)はハノイ文廟を訪れた際、二つの絶句を書いて石碑に刻んで2階で建てました。しかし、その石碑は現在まで残っていません。
文廟門の正面に大きい四柱と、左右に二つの「下馬」石碑が設けられています。文廟を通るにはたとえ皇帝であっても馬や乗り物から降りて両側の下馬碑を通らなければなりませんでした。
大中門(Dai Trung Mon、ダイ・チュン・モン)
大中門 画像引用元: Wikipedia
文廟門をくぐって境内に向かって、まず「入道区」と呼ばれるバッチャンで焼かれたレンガの「皇道」という参道(この参道は「第一空間」とも呼ばれている)を真っ直ぐ歩いたら、朱塗りが鮮やかな三間門である「大中門」(文廟の第二門)が目に入ります。大中門はレンガ床の上に建てられ、屋根がタイルで覆われました。前後に2列の柱で屋根を支えています。周りに全て緑に囲まれています。
奎文閣(Khue Van Cac、クエ・ヴァン・カック)
奎文閣 画像引用元: chotourviet
奎星の美しさを持つ楼という意味をする第三門の「奎文閣」は1805年、阮朝時代に建てられた二重屋根、二階建ての楼門型です。4本の花柄彫刻の石製柱で木製朱塗り正方形の2階を支えています。2階には四方に奎星を象徴したと言われる木製の丸い窓と、漢字で書かれた連句があります。
奎文閣は以前、会試合格者の良い文章を評価する場所でした。緑の中に落ち着いている穏やかな空間です。
天光井(Gieng Thien Quang、ジエン・ティエン・クアン)・科挙試験合格者名碑(Bia Tien Si、ビア・ティエン・シー)
天光井は四角い池です。 画像引用元: vietnammoi
「天光井」(天の光を照らす池)は「文井」とも呼ばれています。「天光」とは「人間は天啓を得て知識を啓発し、人間性を磨き高め、人文を美化する」ということです。ベトナムにあるほとんどの池は円形だが、「天光井」は四角い池です。四角い「天光井」は「土」、丸い窓のある「奎文閣」は「天」と考えられました。
「天光井」の左右には、知恵と長寿を象徴する亀の背中の上に科挙試験合格者の氏名が刻まれた82の石碑を収めた石碑殿が並んでいます。 画像引用元: ditichkhanhhoa
「天光井」の左右には、知恵と長寿を象徴する亀の背中の上に科挙試験合格者の氏名が刻まれた82の石碑を収めた石碑殿が並んでいます。最初に建てられた名碑は1484年に最初の科挙試験合格者(黎朝時代、1442年の合格者)の氏名、最後に建てられた名碑は1780年に1779年の科挙試験の合格者の氏名が刻まれました。
科挙試験合格者名碑
ベトナム文化スポーツ観光省の資料には、「ハノイ文廟・国子監で建てられた黎朝・莫朝(1442年〜1779年)の科挙試験合格者名碑の独自性や独自価値を表すのは石碑に書かれた文章です。世界の国々でも石碑などを建てれていますが、文廟・国子監の名碑だけに各年の科挙試験の歴史、各朝代の教育哲学に関した記録が記された碑文があります。」と記載されています。
カイタイン廟 画像引用元: toandungmedia
太学区 画像引用元: vietfuntravel
今回ご紹介した文廟・国子監の建造物以外、大成門、拝堂、カイタイン廟、前堂、後堂、太学区などもぜひ外せなくお立ち寄りください。